村でのジャンヌ

 主にジュール・ミシュレ氏の「ジャンヌ・ダルク」による。他にも参考文献を参照させて頂いた。写真はじぇむ・ふらんすのさと氏にお借りしている。

生年月日など

 生年月日は1412年1月16日が有力。他には1411年説も。

 没したのは1431年5月30日。享年19歳であった。

 本名はジャネット。

 また、ジャンヌダルクは"Jeanne d'Arc"と記すのが通例。乙女(la Pucelle)の意を込めて、ジャンヌ・ラ・ピュセル(Jeanne la Pucelle)とも呼ばれる。

 シャンパーニュ人の父の血を受け継いで、ドンレミ村で生まれ育つ。


ジャンヌの家族と知人

 ジャンヌは、耕作人ジャック・ダルク、その妻イザベル・ロメの三女として生を受けた。

 代母はジャンヌ、シビル。

 兄弟は長男ジャック、次男ピエール、姉妹の一人はヨハネ。ただし「ジャンヌダルクと蓮如(大谷 暢順氏)」によれば、兄が二人、弟が一人(ジャン?)、妹が一人(カトリーヌ?)。

 伯父にデュラン・ラクサール(又はラソワ)がいる。実際は年長の従兄弟。後にジャンヌをヴォークルールに連れて行った人物である。

 友人達にはオメット、マンジェットらがいる。中でも三、四歳年下のオメットは大の仲良しで一番の親友である。
 オメット本人の証言によると「どんなにたびたび、あの人のお父様の家に行き、仲良くあの人と一緒に寝たことでしょう・・・。あの人はとっても気立てのよい、飾り気のない、やさしい女の子でした」というぐらい仲がよかった様である。

 なお本小説中のアンヌとカトリーヌは創作。


村での生活

 ジャンヌ以外の兄弟は、父親と共に野良仕事や家畜の世話をしていたが、ジャンヌだけは母の傍で布地を縫ったり、糸を紡いだりしていた。

 しかし時には鋤(すき)を持って畑を耕したり、羊の番をするといった日常であった(復権裁判の証言)。

 親友オメットの証言では、「そして他の女の子たちがするのと同じように、糸を紡いだり家事を手伝ったりしていました・・・。」


信仰心と鐘の音

 ジャンヌがとても信心深かったのは言うまでもないが、特に教会の鐘の音に畏敬の念を感じていたようである。彼女は鐘の音を聞くとひざまずき祈りを捧げたという。

 また、親友オメットの証言では「教会や神聖な場所にはいつも進んで出かけていました」「よく告解もしていました。人から、信心深すぎるとか、教会に行き過ぎるなどと言われると、彼女は顔を赤らめていました」


ジャンヌのやさしさ

 戦渦に追われてやってくる憐れな避難民達を見ると、ジャンヌは彼らを暖かく受け入れるために手を貸した。そして彼らに自分の寝台をゆずって、(彼女自身は)屋根裏部屋や物置小屋へ寝に行った。

 またある農民の証言によると、彼女がよく病人の世話をし、貧しい人々に施しをしていたと言う。「そのことならよく知っています。わしはその頃子供でしたが、わしの面倒をみてくれたのがあの人だった」


村と戦禍

 ドンレミ村があるロレーヌとシャンパーニュの境界地帯は、年がら年中ひどい戦禍に見舞われていた。

 ヌフシャトーという町やその隣接地の領有をめぐる東と西との間の、王と公との間の長い戦があった。次いで北から南に、ブルゴーニュ派(イギリスと組む陣営)とアルマニャック派(ジャンヌが味方することになる王軍)との間の戦が起こる。

 この境界地帯にすむ貧しい人々は、名誉なことに王の直属の臣下だった。したがってこの辺りに住む人々は、大半が王太子シャルル(アルマニャック派)を支持することになる。しかし、劣勢側の臣下というのも辛かったことであろう。

 盗賊などの野盗も頻発していた。家を焼かれた町人や敗走した兵士が手っ取り早く生きてゆくには、人のものを奪う方が効率が良かったのであろう。また、攻め寄せる敵軍や時には貧窮した友軍までもが村々を襲った。

 ジャンヌの住むドンレミの村も、野盗(又は軍隊)に襲われたことがあったようだ。1423年、ジャンヌ11歳の時と推定される。この時、彼女の両親とその子供たちはヌフシャトーへ避難した。そして数ヵ月後に村に戻った時、彼女たちは略奪し尽くされた村を見た。そこには踏み荒らされた家々と、焼け落ちた教会が残っていただけだという。


ジャンヌに起こった奇跡

 彼女にはじめに奇跡が起こったのは、13歳の時と言われる。

 ある夏の日、それは断食日であったが、正午ごろ、教会のすぐ傍にある父親の家の庭先にいたジャンヌは、その教会の方角にまばゆい光を見、そして次のような言葉を聴いた。「ジャンヌよ、聞き分けのいい、良い子におなり。よく教会へお行き」どうやらこの前日、ジャンヌは断食を行っていなかったそうである。


シュヌーの森で天使と話すジャンヌ

 また別の時、彼女の見た光の中に幾人かの人影があり、そのうちの一人には翼があって気高い賢者の様であったという。

 その賢者こそ大天使ミカエルであり、この天使は次のように彼女に伝える。「ジャンヌよ。フランスの王を助けに行きなさい。そうすればお前は王にその王国を返して上げられるのだ」

 この時ジャンヌは反論する。私は馬にも乗れぬ哀れな娘に過ぎない、兵士を指揮することなど到底無理です。

 これに対し声は答える。ボードリクールの守備隊長に会えば、ジャンヌを王の元に連れて行ってくれる。そして、聖女カトリーヌと聖女マルグリートが助けにきてくれる、と。

 しかし、ジャンヌは5年間も悩みつづける。その間に幾度も天使や聖女が彼女の前に現れ、彼女を勇気付け、そしてフランスの惨状を訴えるのだ。

 幼いジャンヌには、その啓示は過酷過ぎた。それよりも彼女は天使や聖女の美しさに魅せられ、「できることなら天使たちが私を連れ去ってくれれば良かったのに・・・」と嘆いたほどであった。

 それでも彼女は18歳になった時についに決心する。フランスのを救うために旅立つのだ、と。


奇跡の真相

 彼女が本当に神の言葉を聴いたのか、虚言を言ったのか、幻想を聞いたのかは意見の分かれるところだ。

 彼女が聞いた言葉を超自然的な”神の啓示”とするならば、これに賛成できない合理主義者や反教権主義者たちから批判の意見が出るだろう。

 どうやらこの事では、ジャンヌダルクのお膝元フランスでも数々の論争が行われたようである。この件については「ジャンヌ・ダルク(ソニーマガジンズ文庫)」のあとがき(高山 一彦氏)が興味深い。

 一説によれば、ジャンヌは「偏則幻聴症状」を持つ強度のヒステリー患者だというものまである。諸説様々なのは偉人の宿命かもしれない。

 本小説では、私の判断の元で神の奇跡という説は外させて頂く。これも一つの考えだということで、大目に見て頂きたい。


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