なかがき(後のあとがき)
私は異教徒である。何を唐突にと思われるかもしれないが。
では、あなたはどうであろうか。キリスト教徒?そうでなければ、あなたもジャンヌダルクから見れば立派な異教徒である。
しかし、そうであろうがなかろうが、あなたは少なからずジャンヌダルクに興味を覚えた。だからこそこうして、退屈ななかがきにまで目を通して下さっているのでしょう。
ジャンヌダルクには、宗教上の聖人という以上の魅力がある。それは、少女とは思えぬ行動力であり、人々を引き付けたカリスマ性であり、その悲劇的な死であり、彼女の訴える戦争の悲惨さである。
あなたが18歳かそこらのとき、どれほど人を感動させる行いを成せたであろうか。
ジャンヌダルクのその短い生涯は、まさしく多くの感動を人々に与えている。そう、異教徒たる者まで魅了してしまうのだ。
人は、おそらく神や仏に頼らなくても生きてはゆけるだろう。しかし、時に宗教を信じた人々は、そうでない人々を圧倒する強靭さを発揮する。しかし、その強靭な精神が過ちを犯してしまうこともある。古くから多くの宗教が、戦争・殺人・私刑に関与してきたことも事実だからである。
かく言うジャンヌダルクの活躍も戦争と密接に関わっている。ならば果たして戦争に、彼女の主張する正義はあるのだろうか。
当時ジャンヌダルクの属する陣営では、彼女はまさしく聖女であった。一方、相対する陣営では彼女は紛れもなく魔女であった。
聖女にして魔女とはおかしな話である。
同じように、戦争を行う両陣営どちらにも、彼らの主張する各々の正義があった。しかし逆に、それは相手にとっては悪なる主張に過ぎない。
正義にして悪。それぞれまさに、聖女と魔女が象徴するものではないか。
戦争は混沌としたものだ。聖女が魔女になり、魔女が聖女にもなる。ならばよく言われるように、戦争は勝ったほうが正義なのか。ただそれだけの結論でいいのだろうか。
ジャンヌダルクは、全力を持ってその答えを捜し求めた。彼女は戦に勝利しながら、敗者にも気遣いを忘れなかった。それは必ずしも最善の方法ではなかったかもしれない。しかし彼女はそれまでの戦争屋とは、明らかに違っていたのである。
ジャンヌダルクの魅力の前では、異教徒であろうと感動を覚えてしまう。その感動の一部でも、私の稚拙な物語に表現できていれば感激である。
そして、それがあなたに伝わることがあるとすれば、それこそ聖女の奇跡なのかもしれません。