同い年の少女


現在のドンレミ村周辺の景色

 うららかな昼下がり、あたしはお母さんと一緒に村外れにある蔵にじゃがいもを運んでいました。

 お日様はぽかぽかと暖かく、小鳥が可愛い声で鳴いています。どこもかしこものんびりしていて、平和そのものでした。

「今日は本当に良い日ね」私はにっこり笑って、お母さんに声を掛けました。でもお母さんは黙ったまま何も答えてくれません。

 あたしはお母さんを見つめました。どうやら意地悪で答えてくれなかった訳ではなさそうです。何か必死に考え込んでいるようでした。とても暗い顔をしています。

 実はあたしも本当は心配で胸が痛かったのです。でもわざと考えない様にしていたのでした。

 ドンレミ村は今日もいつもと変わらない風景です。ニワトリもウシも、村の人達もみんなのんびりと暮らしています。でも本当は平和など、どこにも存在していなかったのです。


 「我らがシャルル様ももうダメかも知れない・・・」昨日お父さんが呟いた言葉が耳に焼き付いていました。

 村では、フランスの正統な王様にふさわしいのは、王太子シャルル様だけだというのがみんなの考えでした。ところが現在首都のパリに居座っているのは、ブルゴーニュ公という悪い人物でした。

 ブルゴーニュ公はパリを占領した後、あろうことか侵略者イギリスと手を結んでいたのです。イギリスは勝手にシャルル様を犯罪者と決め付け、そんな人には王様になる権利はないとわめいています。しかもイギリスの王様はフランスの王女様と結婚して、フランスを自分の物にしようとしています。

 イギリスやブルゴーニュ公のやる事は無茶苦茶です。そのせいでフランスも無茶苦茶になってしまっています。盗賊や山賊が我物顔で暴れまわり、もうあたし達の周りには平和で安全な場所なんてどこにもありません。

 つい先日も近くの村が盗賊団に襲われてしまいました。その村にはあたしの友達も、お母さんの知り合いも住んでいました。もはや他人事ではありません。いつこの村に戦争の火の粉が降り注いでもおかしくないのです。

 そして、だからこそ、今あたしとお母さんはじゃがいもを運んでいるのです。


 ようやくたどり着いた村の秘密の貯蔵庫は、その入り口を茂みで覆われていました。

 盗賊達がもし村に襲ってきた時に、最低限の蓄えを残しておく為に、みんなでここにじゃがいもや小麦粉を隠すことにしているのです。こうでもしないと略奪者達は全てを持っていってしまうのです。

 今が戦争の世の中でなかったら、盗賊なんか領主様がやっつけてくれるはずです。でも領主様はイギリスやブルゴーニュ公と戦うことに必死で、村を守ることは出来ないのだそうです。だから、自分達の身は自分達で守るしかありません。

 貯蔵庫からはひんやりとした空気が漂っています。薄暗いその中には、なけなしの食料が置かれていました。これがあたし達に出来るせめてもの防衛策です。あとはただ、神様に祈りを捧げるのみです。

 お父さんもお母さんも敬虔なキリスト教徒です。もちろんあたしもです。だからお祈りは欠かしたことがありません。草刈をしているときも食事の支度を手伝っているときも、いつも心の中で神様にお祈りしています。

 今はまだ神様は何も答えてくれません。でもきっと神様は私達を救って下さるはずです。きっと、いえ、必ず・・・。

「ジャネット。そろそろ行きましょう」貯蔵庫に向かって十字を切ったあたしに、お母さんは声を掛けました。早く戻って畑に行っているお父さんのお手伝いをしなければなりません。最近は領主様からの取り立ても厳しく、のんびりしている時間なんてとてもありません。兄達も今ごろは羊を連れて草原に出かけているはずです。

 春の草木は太陽の光を浴びて活き活きとしています。ちょうちょがレンゲの花にとまっています。あたしも真似をしてレンゲの蜜を吸ってみたりしました。

 どうしたことか、畑に戻ってみると、お父さんの姿が見当たりません。あぜ道にクワなどが転がっているだけでした。周りの畑にも誰の姿もありません。

 なぜか嫌な予感がして、あたしはお父さんを探しました。そして祈りました。神様、どうかお父さんを連れて行かないで下さい!

「ジャックどうしたの!?」お母さんがお父さんを見つけました。

 神様はあたしのお願いを聞き届けてくれたのです。感謝の祈りを捧げながら、あたしはお父さんの元に駆け寄りました。

 お父さんも息を切らせながら駆け寄ってきました。どうやらお父さんもあたし達を探していたようです。

「イザベル、ジャネットここに居たのか」息を整えるのももどかしく言葉を続けます。「アンヌが村に逃げて来たんだ。カトリーヌがジャネットに会いたがっている」

「アンヌが?良かった無事だったのね」お母さんの顔に今日初めて笑顔が浮かびました。

 アンヌおばさんは、先日襲われた村に住んでいたお母さんのお友達です。カトリーヌはおばさんの子供で、あたしと同じ13才の女の子です。

「とにかく早く来てくれ。ジャネットを早く連れて行かないと」

 言うとお父さんはあたしの手を取って走り出します。その慌てぶりにあたしは引きずられるように連れていかれます。

 いくらなんでもその慌てぶりは異常でした。それにおばさんたちが無事だったのなら、こんな恐い顔はしていないでしょう。何が何だかわかりません。


 ようやくたどり着いたのは、意外にもあたしの家の庭なのです。しかも普段は珍しい物など何もないその場所には、既に人だかりが出来ていました。

 その人達は、即席の荷車のようなものを囲んでいました。そして、その傍にはアンヌおばさんの姿も見えます。お父さんはあたしをそこに連れて行こうとしていました。

 おばさんがこちらに気付きました。不安そうな表情をあたしに向けています。その表情を見ていると、あたしまでなにか凄く不安な気持ちになりました。

「ジャネットが来たよ。ジャネットだよ・・・」おばさんが涙声で荷車に声を掛けるのが聞こえました。いえ、近寄ってみると判ったのですが、荷車に積まれているほとんどガラクタのような荷物に埋もれて、一人の女の子がうずくまっていました。

「カトリーヌ・・・。カトリーヌなの?」あたしは声を掛けます。

 すると毛布をわずかに払いのけて、女の子が顔を見せました。死人のようなその顔は、しかし紛れもないカトリーヌのものでした。

「ジャネット、ジャネット・・・」カトリーヌは、ほとんどうわ言のように呟いています。あたしは荷車に身を乗り出し、毛布から覗いている彼女の左手に恐る恐る触れました。

「・・・っ!」するとカトリーヌが顔をしかめます。あたしは慌てて手を離しました。彼女の服の左肩の部分が茶色に変色していたのです。

「血?」目を疑いました。新たに毛布から現れた彼女の服は、肩だけでなくあちこち茶色に染まっていたのです。それだけではありません。彼女の服は色の変わった部分と重なるようにあちこち引き裂かれていました。

 あたしは声を失いました。神様に祈ることも出来ずにただ呆然と、ただ唖然としてカトリーヌを見つめています。

 そんなあたしに向かってカトリーヌは真っ直ぐ顔を向けていました。そして声に成らない声を絞り出すのです。

「・・・お願い・・・助けて」

 体が震えました。涙が溢れました。神様に祈りました。必死に必死に祈り続けました。ああ、どうかカトリーヌをお助けください!

 目の前でカトリーヌの息が弱まってゆくのが分かります。それでも彼女は唇を動かし続けます。もはやその声は聞き取ることすら出来ません。

 ああ、神様・・・。いま、哀れな少女の命は無残にも途絶えようとしています。せめて、せめてカトリーヌの魂があなた様の元に旅立つことが出来ますように。

 自分と同い年の少女が息を引き取ろうとしているのです。その姿は自分と重なって見えるのです。少女が瞼を閉じたとき、まるで自分自身が死を迎えた様な気がしました。

 あたしは再びカトリーヌの手を握りました。先ほど彼女が痛がった左手ではなく、今度は右手に触れました。意味のある行動ではありません。ただ最後の別れに彼女の肌に触れておきたかったのです。

 突然周りの大人たちが声をあげました。あたしもはっと息を呑みました。カトリーヌがうっすらと目を開いたのです。その表情は苦しみから開放されて、まるで微笑んでいるように見えました。そう、まるで天使の様に。

 カトリーヌはゆっくりと唇を動かしました。しかしやはり声にはなっていません。誰にも何も聞こえませんでした。

 ところが不思議なことに、なぜかあたしには声が聞こえたのです。いえ、聞こえたような気がしただけかもしれません。なぜならカトリーヌが唇を動かせたのはほんの一言か二言でした。それなのに心には次のような言葉が残ったのです。

「ジャンヌよ、善良でありなさい。そしていつかフランスをお救いなさい」

 あたしは思わず空を見上げました。雲一つない空は、どこまでも青く広がっていました。その中に一羽の白鳥が、教会の真上を通り過ぎながら空を舞って行きました。あたしには、それがまるで天に登ってゆくカトリーヌの姿の様な気がしてなりません。

 あたしは神様に感謝しました。やはり神様は私達を見守ってくれているのです。

 そして今まで以上に神様に祈りを捧げる事を誓いました。なぜなら、それこそがフランスを救うために自分が出来る、唯一の方法だと思ったからです。

 あたしはドンレミ村のただの羊飼いの娘です。それ以外に何が出来ましょうか?


次のページへ / 表紙へ戻る

◆ 写真はじぇむ・ふらんすのさと氏にお借りしています。