羊達の願い
カトリーヌの死から、3年もの歳月が流れました。しかし、未だに戦火が収まる気配はありません。
既に数十年もの長きに渡って繰り広げられた戦争が、そう簡単に収まるものではないのかもしれません。例えあたしがどんなに神様に祈ろうとも・・・。
しかし、この祈りを止める訳には行きません。これは天に登った親友の願いであり、神様に誓った約束でもあったからです。
その日は、朝からの大雨でした。畑に出ることも出来ず、あたしは機織りに精を出しながら、朝からずっと神様に祈りを捧げていました。
父も兄も木を彫って、熊の置物を作っています。これを売れば幾らかのお金になるのです。
今、どうしてもお金が必要でした。母が病に掛かり、床に伏せっていたからです。どんなに高価な薬であっても、なんとか手に入れてあげたかったのです。
初め母は黒死病かもしれないとみんなが心配しました。もしそうなら、どんなに看病しても直す事ができません。しかし、幸いなことに母はただの風邪の様でした。ところが困ったことに、母は自分が黒死病に掛かったものと信じ込んでしまったのです。
母は精神的に病んでゆきました。終いには風邪をひどくこじらせてしまったのです。
「どうか母をお救いください。その為にはあたしが身代わりになってもかまいません」
看病はするものの、一向に直る気配がありません。あたしには母を救うことが出来ませんでした。だから、神様にすがりました。
ところが、夜も満足に眠らず看病と仕事に打ち込んだせいか、その日ついにあたしまで倒れてしまいました。
「ジャネット、どうした大丈夫か」倒れこんだあたしの周りを囲んで、兄達が声を掛けてくれました。
「大丈夫。大丈夫よ」そう言ってあたしは体を起こそうとします。しかしどうしたことか力が全く入りません。
父があたしの額に手を当てて、ひどく眉をしかめました。そこまでは覚えています。でもその後のことは何故か意識が薄れてしまって、よく覚えていませんでした。
「ジャネット、どうしたの?まさか!?」次に気が付いたのは悲痛な母の声が耳に入ったからでした。
どうやら父達はあたしを母と同じ部屋に寝かせてくれた様です。だるい体にうんざりしながら、首をゆっくりと母の方に動かしました。
「ああ、ジャンネットまで・・・」母は悲嘆に暮れていました。
「お母さん・・・」口を開くのもおっくうです。唇を動かした弾みに、額に乗せられていたタオルが落ちてしまいました。それを見た母が、病気の体を苦しそうに起こして、それでもタオルをきちんと乗せ直してくれました。
あたしの目には思わず涙が浮かびました。母も今病気なのです。それなのに自分のことよりもあたしのことを心配してくれているのです。
「お母さん。お母さんはもう大丈夫なのよ。だってあたしが神様にお願いしたから・・・」
あたしは自分が身代わりになる代わりに、母を救って欲しいと神様に祈った事を話しました。
「ああ、ジャネット。なんて事を」その言葉を聞いて驚き、そして悲しみました。母も信心深い人です。あたしに神様のことをいろいろと教えてくれたのも、やはりこの母でした。
「何も心配しないで」心配を掛けまいとあたしは微笑みを浮かべました。
「お母さん、今日は眠りましょう。きっと神様はあたし達をお見捨てにはならないでしょうから」
あたしは短く祈りの言葉を呟きました。途端に急に頭が重くなり、深く深く眠りに落ちてしまいました。
夢の中であたしは一匹の子羊でした。群れの中でたくさんの仲間達と暮らしています。群れの仲間の中には、とても嫌な相手がいました。しかしそんな相手と喧嘩をしながらも、なんとか日々の暮らしを送っていました。
ところが突然遠くの島から海を渡って狼達がやってきました。この狼達は前にも一度襲ってきたのですが、そのときは仲直りをしたはずでした。
ところが狼は情け容赦なく群れの羊達に襲っい掛かってゆきます。狼達が仲間の肉を喰らっているというのに、あたしは逃げ惑うばかりで何も出来ません。
そんな中、いつも喧嘩をしていた嫌な羊が突然狼にすり寄っていきました。群れの全てを差し出す代わりに、自分の命だけは助けて欲しいと命乞いを始めたのです。狼はこの羊の毛を刈って丸裸にしてしまいましたが、命だけは勘弁してやることにしました。
すると狼達は今度はあたしの方に向かって来ました。あたしは必死に北から南に逃げてゆきました。しかし狼もどんどん南に追ってきます。
あたしはとても心細く恐怖に震えていました。狼がここまでやってきたらもうお終いです。
ああ、あたし達を見守ってくれる羊飼いは、どうして助けにきてくれないのでしょう。生き残った仲間の羊達も懸命に羊飼いが助けに来てくれることを祈っています。
そう、みんなが待ち望んでいるのです。
どのぐらい眠っていたのか自分には分かりませんでした。ただ、それがとても短い時間に感じられたため、三日間まったく意識がなかったと聞かされたとき、とても驚きました。
この三日間であたしはだいぶ良くなっていました。しかし母はあたしが倒れる前よりさらに幾分痩せてしまっていました。お父さん達が止めるのも聞かずに病気の体に鞭打ってまで、あたしを看病してくれたのだそうです。
あたしはとても心配しました。あたしのせいで母が余計に悪くなってしまったと思ったからです。
でも、やはり神様はお慈悲を与えて下さいました。倒れたあたしの体調が回復するにつれ、母もまた良くなって行ったのです。あたしの願いはかなえられたのです。母は元気になったのです!
病床から開放されると、あたしと母は直ぐに教会に向かいました。そして感謝の祈りを捧げたのです。ああ、神様ありがとうございます。母を病からお救いくださり、感謝の言葉もありません。
あたしがそう呟いた時のことでした。教会のステンドグラスから陽光が差し込み、あたしの目の前を照らし出したのです。ちょうどお日様の向きが重なっただけかもしれません。しかし、ステンドグラスに色付けされたその鮮やかな光は、とても神秘的で、まるでその中に天使様が降臨なされたかの様でした。あたしは目の前に出来た陽だまりに向い、お祈りを捧げました。
もう一つだけあたしのわがままをお許し下さい。どうか、戦乱に病んだフランスもお救い頂きたいのです。その為になら、あたしはあなた様にこの人生を捧げます。
あたしは一心不乱にそう祈りました。母が病気になってしまったのは、打ち続く戦争のせいだと考えていたからです。
突然目の前が明るくなりました。あたしははっとして、閉じていたまぶたを開きました。するとどうした事か、差し込まれた光があたしを包み込んでいたのです。見れば、あたしの周りの床には、鮮やかな模様まで浮かび上がっています。
「神様、あたしのお願いを聞き届けて下さるのですか」
あたしは感激と興奮を覚えました。ついに神様が祖国を救って下さると約束して下さった様に感じたのです。そして神様は、あたしが神様にこの人生を捧げることを望んでおられるのです!
「祖国フランスをお救いください。その為にこの人生を捧げます!」
あたしは声を上げて誓いました。その声は隣にいた母を驚かせました。
母が見つめる中、あたしは再び祈りを続けました。そして懸命に考えました。フランスを救うには、どうすればよいのでしょう?あたしは何をすればよいのでしょう?しかし、神はそこまでは答えてくれません。そして、あたしにも良い考えは思い浮かびません。
無言のまま祈り続けるあたしの頭上を、陽だまりは通り過ぎてゆきます。それがずっと後方に移ってゆき、やがて途絶えた陽光と共に消え去ったあとも、あたしはいつまで祈り、そして考え続けていました。
祖国フランスを救うために、あたしに何ができるのでしょうか?